取調べが仮に一年かか

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がアマノン国で本格的に接触することになった最初の人間は、この田舎の警察署の治安刑事であった。約二週間に及ぶ取調べ、あるいは事情聴取は早朝から昼の休憩をはさんで夕方まで行なわれ、Pはその間、机を隔てて終始この中年の刑事と顔を突き合わせて質疑応答を続け、時には雑談にも及んだので、普通ならこのような密な接触からは、互いの立場はどうであれ、知己を得たという感情が生まれても不思議はないのであるが、なぜかPはこの人物に対してはおよそいかなる親愛の情も抱くには至らなかった。取調べが仮に一年かかったとしても同じであることをPはほとんど確信したほどである。

この刑事(正式には治安第三課主任警部)、名前はカガノン、見たところ五十近い年恰好《としかつこう》であったが、雑談の際に聞いてみると意外に若くてまだ四十を過ぎたばかりだった。そもそも最初にPは署長室に連れていかれ、そこで取調べを受けるというよりも得体のしれない「不正入国者」として署長の一瞥《いちべつ》を受け、P自身も、正式の外交使節でもなし、かと言って犯罪者の意識もなし、はなはだ曖昧《あいまい》な立場のまま署長に向かって慇懃《いんぎん》に挨拶《あいさつ》だけはして、今後の希望を簡単に述べたのであるが、ここで署長から引き合わされたのがこのカガノンである。その時の署長の話では、Pは賓客の扱いで、カガノンがそばについて万事面倒を見てくれるから、ということだったけれども、実際の待遇はと言えば、特別拘置室に監禁され、事情聴取という名目で連日このカガノンの取調べを受けることがその中身であった。もっとも、署長自身は昼の食事のあとの休憩時間などに何度か姿を現し、その時は肥満体の男によくあるどこか女性的な声で愛想《あいそ》よくPに話しかけて、ここでの生活は快適か、何か欲しいものはないか、といったことを尋ねるのだったが、Pはそれに対して、大昔の乞食《こじき》哲学者のように、今の自分の希望は昼の休憩時間にそういう話をしにこないでいただきたいということだ、と答えたいほどだった。というのもPはカガノンの、決して高圧的ではないがだらだらと執拗《しつよう》に続く事情聴取にうんざりして、食事のあと位は一人になって頭を休めたいと思わずにはいられなかったからである。そんなわけでPは署長の質問には微笑して首を振るだけで答えず、今はこの事情聴取が余り長びかないことだけを心から希望していると言い、それに対して今度は署長が曖昧な微笑を浮かべて、自分としてはそんなに長びくことはないものと確信している、というような答を返すだけだった。

Pがカガノンからできるだけ早く解放されたかったのはある程度まで生理的な理由による。つまりPは、この取調べ担当になった係官の容貌《ようぼう》と体臭にはなかなか慣れることができなかったのである。カガノンはその四十過ぎという実際の年齢よりはるかに老《ふ》けていたが、それは尋常の経過をたどって到達した老化というよりも、例えば、若い頃《ころ》人一倍肥満していた人間がある時から急速に痩《や》せ始めて、その当然の結果として急激に多数の皺《しわ》を生じたことによるものであった。目尻《めじり》、口元は言うに及ばず、額には静かな海の波を表したような十数本の皺が見事に並んでいる。しかしその顔の皮膚そのものは皺とは無関係に滑かで、よく見るとまるで髭《ひげ》がない。いや、顔のどこにもおよそ毛が生えていた痕跡《こんせき》がなくて、これは丹念な髭剃《ひげそ》りによるものではなさそうだった。鼻の下などに、どんな女にでも見られるうぶ毛さえ生えていないのは理解に苦しむことである。このどちらかと言えば老婆《ろうば》に近い萎縮《いしゆく》した顔から窺《うかが》われる感情も、同様に萎縮して貧困で、何事にも溌剌《はつらつ》と反応して動くということがなく、いわばそれは堅くしぼられたまま乾燥してしまった雑巾《ぞうきん》に似ていた。

その雑巾が発する独特の臭《にお》いの如《ごと》きものが、実はこの男の体、とりわけ下半身の方から発散されているのではないかとPが気づいたのは取調べ初日の午後のことである。その臭いは夕方に近づくにつれて次第に濃くなってくるようで、死臭と言うには生臭《なまぐさ》い異臭が、初老の男の口臭、タバコ臭、頭髪臭等々とも渾然《こんぜん》一体となってPを悩ませた。人を人間|嫌《ぎら》いにせずにはおかないようなこの臭気が人間の形をして目の前にある限り、少なくともこの人物に好意を抱くことは不可能で、そのことが逆にこの人物を長年の間に人に好かれることを欲しない干物《ひもの》のような人間にしていた。それに服装がまたその臭気にも容貌にもふさわしいというべき暗い不愉快な印象を与える代物《しろもの》で、カガノンはいつも袖《そで》の長いだぶだぶの灰色の服を着てその上に短い紺の事務用上着を羽織り、黒のこれまただぶだぶのズボンをはいていた。全体として袋のようなこの粗末な服装の上に萎縮した首がのぞいているところは出来の悪い呪術《じゆじゆつ》用の人形を連想させる。そのうちにPはこのカガノンが、普通の風貌をした若い部下たちからも決して敬愛されてはいないことを知った。それは陰でカガノンのことを「ラオタノス」と渾名《あだな》で呼ぶ調子に明らかに軽蔑《けいべつ》と嫌悪《けんお》がこめられているのがわかったからである。「ラオタン」(もとは「老公」と書いていたのがいつのまにか訛《なま》ったものらしい)に男子名の語尾をつけたものが「ラオタノス」で、この言葉自体には年配の上司を尊敬する意味が含まれていそうであるが、部下たちにその点を訊《き》くと首を振りながら笑って答えなかった。

しかしこのカガノン、通称ラオタノスはその仕事に関して無能だったわけではない。公平に判断すればむしろ有能な部類に属するのではないかとPは思った。何しろ事情聴取のやり方は細かくて、調書の作成についてもソツがなくて几帳面《きちようめん》である。ただしこの調書の文体は、この国の官庁一般に通じる公文書独特の文体のためか、Pにとっては、調書のできあがった文体を読まされる度に自分の言ったことが少しずつ歪曲《わいきよく》されているようで、これでいいかと訊かれれば思わず異議を唱えたくなる。そこは少し違うのではないかとPが言うと、カガノンはどこまでも細かくPの言い分を聞いた上で、あくまでも独特の文体の文章に直してはPの同意を求める。これを何度でも繰り返して辟易《へきえき》することがないのは、稀《まれ》に見る強靭《きようじん》な精神、というよりも恐ろしく鈍磨《どんま》した精神の持主を相手にしているというやりきれない疲労を感じさせるものであった。こんな調子で調書の作成に付き合っていたのでは無為徒労のうちに何年でも過ぎてしまいそうに思われたので、Pは途中から持前の大雑把《おおざつぱ》さという美徳を十分に発揮して、カガノンがおかしな文章で調書を書き上げていくのに進んで協力した。

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