真剣な表情で質問し

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栄介は元日の新聞を顎で示して尋ねた。
「買おうと思ったね。いつもそう思ってる。でもいつも買いそびれるよ。何しろ発売と同時に行列ができて、すぐ売り切れてしまうんだからな」
山岡はガサガサと新聞をたたみ、またとじはじめた。
栄介は椅子《いす》の向きを山岡のほうへ変えて、真剣な表情で質問した。
「当たったらどうしようなんてことを考えるかい」
「ああ。むなしい夢だがね」
「どういう具合に使う」
「この会社をやめるさ」
「やめてどうする」
山岡は驚いたように、手をとめて栄介をみつめる。
「食えないからこの会社にいるんだ。使ってくれて、食って行ければどこでもよかった。でも、三流大学で歴史なんか専攻して、コネもなんにもないと来ては、こういうところしか入れなかった。別なことで食って行けて、そっちのほうが面白かったら、こんなところにいやしないよ」
「ばかに明快だな」
栄介が感心したように言うと、山岡はかすかに唇《くちびる》をゆがめた。
「君だったら、一千万円をだいてここにいるかい。わが社の建売でも買って、彼女と結婚するか」
「俺にはまだ判らない」
「夢を見ないのか。リアリストなんだな。俺だったら、その一千万円でいちばん大きな夢を追うよ。いちばん大きくていちばん金にならない夢をね」
山岡はそう言って笑ってから、不審そうに栄介を眺めていた。

銀行はもう営業している。
そして、銀行の前を通るたび、栄介はくすぐったい気分にならざるを得ない。そこの金庫に自分の金が一千万円あるのだ。
仕事はじめのその月曜日は、午前中でおわりであった。会社を出て、あてもなく新宿の中心へ向うと、着飾った若者たちがぞろぞろと歩いていた。
栄介の背広は古びていて、実を言えば上着のポケットには穴があいていたし、ズボンの尻《しり》の縫い目がほころびて、何度も自分で縫い直してある。
だが、もうどんなおシャレでもできるのである。
栄介は振袖を着てかたまって歩いている娘たちに追い越されながら、ああいう着物だって誰かに買ってやれるのだと思った。
いったい自分は何が欲しかったのだろうか。栄介はそれを考えてみた。
たしかに車は欲しい。買いたいものの筆頭は車だ。だがいったい、どんな車が欲しいのだろう。自分に必要な車種は……。
そう考えると、せいぜい軽四輪といったところに落着いてしまった。
一千万円持っているわけだが、車の中にはそれで一台買うのがやっとという豪華なものもある。
もちろんそんなばか高い車を欲しいわけではないが、ちょっと人目につくスポーツカーなら、何百万というのも珍しくない。
車を買えば買ったで、自由に乗りまわすためには、やはり金がいる。奮発して三百万円の車を買ったとすると、その車が楽しめるのは、残りの七百万円が生みだす期間でしかない。
もちろん車庫もいるし、そうなればおシャレだってしたくなるだろう。
おシャレをすれば、食事だっていつもの安食堂ばかりというわけにはいくまい。
だいいち、あのボロアパートの四畳半をなんとかする必要もある。
残りの七百万円から、そういう金をどんどん引いていくと、車を楽しめる期間はそれに反比例して短くなる。
当たった一千万円を車中心に、いちばん効率よく使おうとすれば、ごく安い車を一台持ってできるだけ長くそれを乗りまわせるようにするべきであろう。

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