この笑顔を見せてやりたい

字体 -

からの弁当箱を布ナプキンでつつんで席を立つ。ゆり絵もお弁当のフタを閉《し》めて席を立った。
ふたりが手をつないで階段に向かうと同時に、生徒たちのあいだから、落胆《らくたん》と安堵《あんど》のため息が漏《も》れた。
——はーっ。今日も何事もなかったね。いつ如月さんがキレて暴れ出すかとドキドキしてたのに。
——滝沢ってすげぇよな。なんかんだ言って、如月に合わしているもんな。よくもまあ、あんな凶悪《きょうあく》女とつきあってられるよなー。俺はあんな怖《こわ》い女、まっぴらだね。
——如月さん、一週間ほど静かだったのに、元に戻《もど》ってしまったね。カルシウムが足りないのかなぁ。もっと牛乳を飲めばいいのに。
ふたりが背中を向けた瞬間《しゅんかん》、声をひそめたおしゃべりが、ソーダー水のアワのように、ぱちぱちとはじけ出す。
僚は恋人の顔をそっと見た。ゆり絵の耳にも届いているはずなのに、ゆり絵は関係ないわとばかりにつーんとして、表情ひとつ変えない。
僚は恋人の手を握《にぎ》る手にキュッと力をこめ、気にするなよというように、にこにこと笑いかけた。ゆり絵が、気にしてるわけないじゃない、というように、手を握り返してくる。
ツンケンしたキツイ態度は、彼女なりの照れ隠《かく》し。
僚はもう慣れっこになっていて、ゆり絵のトゲトゲしい言葉にいちいち動揺《どうよう》したりしない。

わがままな彼女を、やさしく包みこむ彼氏。
暴君の女王様に、辛抱《しんぼう》強く仕える下僕《げぼく》。
怒りっぽい少女をフォローする、温厚な癒《い》やし系の少年。

それが世間|一般《いっぱん》の、如月ゆり絵と滝沢僚の評価だった。
ドアを締めると、ひんやりした空気がふたりを包んだ。
生徒たちの注視とウワサ話から解放され、ため息が出た。彼らはふたりが大げんかをすることを期待し、ドキドキワクワクしながら見守っているのである。
慣れてきたとはいえ、珍獣《ちんじゅう》よろしく注目を浴びるのは、心|弾《はず》むものではない。
階下へと延《の》びている階段は人気がなく、生徒たちのざわめきが下のほうからわずかに響《ひび》いてくる。
「気をつけろよ」
僚は、手をつないでいるゆり絵に話し掛《か》けた。
ゆり絵は生まれつき心臓が悪い。階段をあがるのも息が切れるようなありさまで、医者からは心臓手術を勧められている。手術の前段階としての検査入院が、あさってに迫《せま》ってきている。
「んっ、平気。ここんとこ体調がいいから。ゆっくり降りたらドキドキしないのよ」
「静かだな」
「うん。そうね……静かよね。三年生、修学旅行だしね」
「デビルベア、どうしてるんだろ?」
デビルベアは、ゆり絵が深夜に合わせ鏡をしたことによって、偶然《ぐうぜん》に召還《しょうかん》してしまった悪魔《あくま》だ。
クマのぬいぐるみの形をした彼は、つい先日まで、ゆり絵の周囲をびゅんびゅんと飛び回り、合わせ鏡をしてつかあさい、ワシは魔界に帰りたいんやぁっ。時の潮が満ちてしもうたやんかぁ、と大騒《おおさわ》ぎをしていた。
だが、あきらめたのか飽《あ》きたのか、ここ三日ほど、一度も姿を見せていない。
「スネてるだけでしょ。ま、そのうち、でてくるでしょ。魔界の扉《とびら》が開くの、明日だもんね」
「もしかして心配してる?」
「どうして私がデビルベアを心配しなきゃいけないのよっ。ちょっと気になるだけよ。あさって検査入院だしね。……そんなことより」
ゆり絵は、つないでいた手をほどくと、階段をトンッと一段だけ降りて、僚の前に回りこんだ。
「えへへーっ。ふたりきりだーっ」
一段低い段に立ち、ぽすっと抱《だ》きついてきた。おでこを詰《つ》め襟《えり》のお腹につけて、スリスリモフモフしてなつく。笑みを含《ふく》んで細められた瞳《ひとみ》が、僚を見上げてくる。
僚は、ゆり絵のやわらかくて温かい背中に手を回した。甘《あま》えてこられる心地《ここち》良さに、胸の奥《おく》が熱くなる。
ゆり絵を凶悪《きょうあく》女だとか黒いとかいうやつに、この笑顔を見せてやりたい。ゆり絵がほんとうは、かわいくて気だてのいい子だって教えてやりたい。
そう思う一方で、この笑顔を独《ひと》り占《じ》めしてることに、誇《ほこ》らしい気持ちを覚えてしまう。
「大好きよ。僚」
ゆり絵は、キスして、というふうに顎《あご》をあげて瞳を閉じた。ふたりの身長はほとんど同じなので、そのままではキスはできない。
ゆり絵は、目を閉じたままで、階段をあがろうとした。
足を踏《ふ》み外《はず》したのか、彼女の身体がガクッと下に落ちた。
「きゃあっ!!」
「危ないっ!」
僚は、ゆり絵を抱き締《し》める腕《うで》に力をこめた。
足に力を入れるが、重力は容赦《ようしゃ》なく彼

分享博文至:

    目前没有评论

发表评论